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Posted by たまりば運営事務局  at 

前から一度訪れたいと想ってた、
『高安寺』に行ってきました!



ここには数々の逸話があります。

*****

平安時代に、ムカデ退治や平将門討伐で知られる、
藤原秀郷が武蔵国府近郊に置いた居館を、
「市川山見性寺」に改めたのが始まりとされる。

平家滅亡後に鎌倉入りを許されなかった源義経も、
この寺に立ち寄って、
武蔵坊弁慶が大般若経を写経したと言われている。

ここは武蔵国府の近くにあり、
国衙荒廃後にはここが重要拠点と見なされるようになり、
南北朝時代には、
新田義貞が分倍河原の合戦で本陣を構えている。
これら一連の戦乱によって、
寺が炎上するなどして見性寺は荒廃。

そこで暦応年間(北朝、1340年前後)に入ると、
足利尊氏が建長寺の大徹禅師を開山として招き、
臨済宗の禅寺に改めて再興した。

この際、尊氏が進めていた安国寺の一つとしてこの寺を位置づけ、
名称も尊氏の旧名(高氏)から龍門山高安護国禅寺と命名された。

本堂・山門・鐘楼が、
「東京都選定歴史的建造物」に選定されています。

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高安寺観音堂



*****

かつては寺の西、観音橋附近にあったが、
江戸初期の洪水で流され、
享保年間に寺内に再建されたと伝えられ、
桁行三間・梁間三間の入母屋造りで、
多摩地区においては数少ない
江戸中期の三間堂であり、
建築史的にも貴重なものだという。

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山門・本堂・鐘楼の
「東京都選定歴史的建造物」トリオです。
門フェチの私は、やはり「山門」に心奪われました♪
山門の間に本堂が観えるというこのアングルは、
なんでこんなに心がざわめくのだろうか・・・!
えっ、私だけ!?




弁慶硯の井



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源義経が、鎌倉を後にすることにしたその途上、
当時見性寺と名乗っていたこの寺院に立ち寄り、
その時武蔵坊弁慶が、大般若経を写経し、
その硯をこの井戸で洗ったと伝えられている。

*****


個人的には、もう少し広いと、
さらに落ち着いた雰囲気で良いと想うのですが、
それでも山門や鐘楼の彫刻は素晴らしいですし、
名刹であることは間違いない素敵な寺院でした。




高安寺
東京都府中市片町2丁目4番1号



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  • Posted by 感動野郎  at 09:00Comments(0)散策(府中市)
    どうせなので、銅像つながりということで。。。
    府中駅・大國魂神社前けやき並木にある『源義家像』!
    「八幡太郎義家」といった方が分かりやすいでしょうか。



    何といってもあの、源頼朝・義経。
    さらに、足利尊氏の祖先ですからね!
    滅茶苦茶男前ですね!

    *****

    前九年の役のため、
    源頼義・義家父子が東方遠征に向かう途中、
    大國魂神社に戦勝を祈願。
    東方を平定した後、
    加護に対する礼として苗木を1000本寄進したという。

    このケヤキ並木は、
    ケヤキ並木として唯一の国指定天然記念物です。

    *****

    それにしても、
    鎌倉幕府を開いた頼朝の祖先である、
    源義家公の像があれば、
    その鎌倉幕府を滅ぼした新田義貞公の像もある。。。

    昔、武蔵の国の国府であった<府中>。
    その一端を垣間見る想いです!



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  • Posted by 感動野郎  at 16:28Comments(0)散策(府中市)